ハチ公と秋田犬

忠犬ハチ公

東京・渋谷駅頭にある忠犬ハチ公像。待ち合わせスポットとして人気ですが、ハリウッド映画としてリメイクされてから世界的な観光地になり、記念写真を撮る人が後を絶ちません。

ハチは大正末期から昭和初期に掛けて渋谷駅で主人・上野英三郎博士(東京帝国大学教授)を待ち、博士の死後も待ち続けたことから多くの人々に愛されました。

ハチは大正12年(1923)11月に現在の大館市二井田字大子内(おおしない)の斎藤家で誕生し、間もなく東京の上野博士の元へ列車で送られました。博士は大の愛犬家でハチをとても可愛がりました。しかし博士は大正14年(1925)に急死。主人を失ったハチは家を出て渋谷界隈を彷徨い野良犬と化しましたが、博士への忠誠心を見続けた人々によって餌をもらうなど愛されました。

新聞で美談が紹介されたことから、昭和9年(1934)に渋谷駅前に銅像が建立され、尋常小学校の教科書にも載るなどしました。ハチはその翌年の昭和10年(1935)3月8日に死去。人間並みの葬儀が営まれ、青山霊園の上野博士の墓と同じ区画に葬られたほか、剥製は上野・国立科学博物館に収蔵されました。

ハチの生まれ故郷の大館でも昭和10年に駅頭に渋谷駅と同じ銅像が建立されましたが、渋谷、大館の二つの銅像は戦時中の金属回収令によって供出、失われました。

渋谷の銅像は戦後間も無くして再建されたものの、製作者の意向により同じものを設置することが叶わず、秋田犬群像の中に仔犬時代のハチが表現されましたが、ハチ公の像を望む市民の熱い思いにより昭和62年(1987)に大館駅前に精悍な姿で復活しました。渋谷のハチ公像は晩年の姿を模したもので左耳が垂れていますが、大館のものは両耳がピンと立ったもので筋骨隆々としています。(大館のハチ公像は現在、大館駅前の観光交流施設「秋田犬の里」の正面階段前にあります。秋田犬群像は、JR大館駅前にあります。)

大館と渋谷ではハチ公の生誕祭、慰霊祭などで相互に行き来し交流を深めています。

大館市ではこのほか、秋田犬会館前に「望郷のハチ公像」があり、その台座は戦前に大館駅前にあったハチ公像で使われていたものです。

秋田犬

忠犬ハチ公に代表される「秋田犬」は大館地方固有の日本犬で、昭和6年(1931)に天然記念物指定を受けるまでは「大館犬」と呼ばれていましたが、「大館犬では通りが悪い」との理由から秋田犬とされて今日に至ります。

秋田犬は日本犬の中では珍しく大型犬に分類されており、1歳にもなるととても大きくなるのが特徴です。仔犬は小さく可愛らしいのですが、脚の太さを見ると大きくなる犬であることが分かります。

毛色は、白、赤(茶色)、黒がありますが、黒に白が混じった「ゴマ」もあります。また“ブサかわ犬”として人気を博した「ワサオ」のようなけむくじゃらな「モク」と呼ばれるものもあります。これらは遺伝によるものと思われますが、生まれてみないとどんな毛色になるか分からないそうです。最近は赤が多い傾向があり、白や黒は希少になっていると言われています。

秋田犬はマタギに同行した狩猟犬(縄文犬)がルーツと言われているようですが、性格は大人しく余り吠えません。(犬の個性や飼い方にもよりますが) しかし主人に対する忠誠は人(犬?)一倍強く、同じ家族であっても誰が真の主人なのかを見極めると言われています。そして忠犬ハチ公のような、主人を強く想ったり、自らの命を顧みず主人を守るといった話も少なくありません。

藩政時代は佐竹公が藩士の士気を高めるために闘犬を推奨し長らく盛んだったようですが、土佐犬や洋犬との混血が進んだことから血統を守る必要が唱えられ、保存会が結成されるなどして現在に至ります。秋田犬会館ではかつての秋田犬の写真を見ることが出来ますが、今の秋田犬とは違った風貌であることに驚かれるかも知れません。

また戦時中は毛皮の需要や食糧難であったこともあり、絶滅寸前まで追い込まれましたが、血統を守るために山奥に隠して守った先人の努力があり、秋田犬は子孫を残すことが出来ています。

大館固有の犬種ではありますが、大型犬のため飼う人は少ないのが残念ですが、大館市では飼育のための補助を行うなどしています。主人以外の人に触れらるのを嫌うとされていますが、大館市内では朝や夕方に散歩しているのを見ることが出来ますし、温泉施設などでは看板犬としているところもあります。撮影や触れ合いたい場合は、事前にオーナーさんに一声掛けてみてください。

大館能代空港では毎月「8」のつく日は、空港到着玄関前で秋田犬がお出迎えするサービスをしています。